2018年 03月 08日
今回は姫路の友人に会いに行ったついでに なんか京都に寄りたくなって、大原に行き着いた。 何で京都大原だったのかよく分からないのだが。 日本の田舎の里といえば大体何処も同じなんだろうが、 山形で言えば平清水の里にとてもよく似ている。 画家で山形出身の小松均がこの里に住み着いたのもどこかよくわかる。 交通事故で亡くなってしまったが小松均の弟子であった今川夕子さんは ここまで時々山形から来ていたのか。あの不自由な体で 最初の頃は、お母さんにおぶさってこの土地に来ていたと話していた。 それは、それは難儀した事だろう。 そんなこんなでもう大原の宿に4泊もしてしまっている。 三千院に行くこともせず部屋で酒を飲んでいるだけなんだが。 料理が有名な宿らしく、ガイドブックに事あるごとに出てくるあの 本で3星を貰ったようなので、それはそれは矢張り美味しいのだが、 色々と気を使ってくれて毎日の献立を替えてくれているのに悪いのだが。 毎日朝に出してくれる湯豆腐を夜にも出してくれればなあなどと 思っても見るのだが。 でもさすがに手が込んでいる野菜を中心とする懐石はとても美味しい 料理は品評でなく出会いのようなものだから、この懐石を味わえたのは 楽しかった。 明日は京都市内に戻ることにした。
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by eichi_wata
| 2018-03-08 05:21
2018年 02月 28日
昨日は、50Fと10F二枚のパネルに紙を糊張りしただけで へとへとになってしまった。 これ丁寧にやらないと、後で紙がぷくっと浮いてき、大変な事になる。 10号二点は四月前半、50号は五月末が締め切り。0号がもう一点。
ここの処、運動と言えば買いもの程度しか動かないんだが 最近はあまり買い物にも行かず、必要なのはアマゾンで取り寄せている。 ウイスキー、ビール、本まぐろ赤身、米沢牛肉、ネギ、讃岐うどん、 天の橋立オイルサーディン、銚子の鰯の煮つけ、鯖の味噌煮、福井の塩雲丹 でもこれではちょっと野菜とか豆腐などのいろどりが足りないので時々買い物に 行かねばならない。 でも基本的に料理はめんどうなのでしない。 朝食は煮込みうどんを作り、夕食は蕪かキュウリの浅漬けとまぐろを切って 日によってなんかをパックから出して酒を飲み、これで大体お終い。 家内が亡くなってから約二年、独居老人の食事はこの二食のパターンが続く。 のらりくらりと一日一、二時間、絵を描いては昼寝を繰り返して たまに歩いて数分のホームの母に果物を持って行き。また夜寝も繰り返して、 起きては小鳥に餌をまき、ビールを飲み、うどんを食べ、絵を描き、コーヒーを 飲み、ウイスキーを飲み、余った時間は家内が結婚する前から持っていた #
by eichi_wata
| 2018-02-28 09:42
2018年 02月 01日
「さくらと富士」展の絵が出来た。 展覧会は2月13日から3月3日まで。 昨年が70歳なら今年は71歳。家内は68歳のままでもう歳はとらない。 又会える時は僕は幾つになっているのだろうか?
近くのホームの93歳の義母と共にそれなりに無事健康。 今年も若い、とても若いガールフレンド達を誘って旅行に行こう 昨年はさくらんぼ狩り、海水浴、城崎温泉、先日は大涌谷、 いずれも楽しかった。 そんな時、旧物理学校の先輩の画家齋藤三郎さんならせっせと 彼女達をスケッチしていただろうが、僕は眺めているばかり。 三郎さん、誰をスケッチしてもスペイン女になるフィルターがあって それを当時はつまらないなと思っていたのだがどうもすみませんでした。 さて彼女達は五月の連休はお伊勢参りを予定にしているそうで、 今回は私たちですっかり予定を立てると言う。 いや、僕の方から立てて頂戴と言ったのか。 仕事も今年は今年であいも変わらず忙しくなりそうだ。 ただ朝から酒ばかり飲んでいる。 #
by eichi_wata
| 2018-02-01 11:08
2017年 12月 29日
昨夜の解体新書のドラマで小田野直武は変だった。
平賀源内の愛人だったという直武をあの姿にしてはいくらなんでも。 前途洋々だった秋田絵師小田野直武が七年後一気に罪人となり秋田に戻されて 30歳の若さで処罰されてしまうという経過まで描いてとは望まないが、 <富士と桜>の絵なんだが、 下図、何点作って、何点途中まで描いたろうか? 全部で8点ぐらい作ったかな? 二点除いてすべて破棄。 紙に描いてパネルに糊張りしているので、パネルから紙を破ってはがし、 パネルを水洗い、束子でごしごしが破棄。 昔から描いては破棄を繰り返していて、家内にはすぐに破棄せずに しばらく置いてからまた見直してみたらと言われていたんだが、 相も変わらず刹那的破棄は未だに繰り返している。ダメなものは駄目なんだ。 江戸時代に浮世絵と一緒に海を渡った少女を仮に設定し それを小田野直武はどう描きたかったろうか、 なぞ空想したのだった。 #
by eichi_wata
| 2017-12-29 11:56
2017年 10月 12日
昨日は帝国ホテルで日動画廊の90周年記念パーティーであった。 ずいぶん盛況な集まりであった。 最初に何も分からず場違いな感じで出席したのが45周年の時であったから、 それからずいぶん経ってしまった。 相変わらず場違い感にはなじめず早々に退散する。 せっかくなのでホテル地下の寿司屋で酒を飲んで大船に戻る。 藤島武二の図録にも必ず載るっと言ってよいほどの代表作が 商品として会場に掛けられていた。 顛末を伺ったが、個人蔵から個人蔵に移ったらしい。 このような高い絵の景気はすこぶる良いそうで、 眠っていた絵がこのところ随分出て来て、それらがまた しっかりと収められていくらしい。 もう日本の美術館には予算がないのだ。 今は名のある物故作家の作品は確実な投資になっているのだろうか、 まるで縁遠い遥か彼方で世の中は動いている。 話は変わり今年一番の嬉しい話。 どなたか画学生をモデルへと以前から、お願いしていたらある女子学生が 来てくれる事になった。 以前のモデルの札幌に帰ってしまったSさんが大学の後輩に頼んでくれた。 驚くほどの美人だ。 七十歳になって二十歳の尻を白日の下まじまじと見る事の馬鹿馬鹿しい シュールさ。 さて、かってそれぞれに自死を選んでしまった四人の友人諸兄、 間違ったとは言えないが、長生きして思ったことは世の中不思議さと 祝祭に満ち溢れていた。 案外この世は悲観する必要もなく楽しい夢でもあったよ。 #
by eichi_wata
| 2017-10-12 12:31
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